夜明け

夜明けといってもさいきんはいつも憂鬱ですが、地球(と僕)は24時間に一回転しているので仕方がない。幸せといってもそれは一瞬で、たぶん人生の99.9999%くらいはなんでもないくらい凡庸に過ぎていってその上に満遍なくうっすらと憂鬱が乗っかっているだけなんだと思う。人間は記憶と思考をもつから、過去や未来に幸せを見出すことができるけど。(それを期待や栄光などという。)
しあわせの総和は世界で常に等しいといった考えの浅いバカがいたが、それはある程度正しくそして決定的に間違っている。たしかに誰かのしあわせの裏には誰かの不幸があるかもしれない。しかしそれは等価交換や質量保存とはまったくもって無関係で、一人の人間が幸せか不幸せかという価値観は、周りの人間には影響を与えない。(ただ幸せになろうとする欲求は時として大きな力になる。)こういう勘違いをする人間が戦争を起こす。正義という建前のもとの殺戮。
偽善という言葉があるが空虚な言葉である。偽善があるとしたら正しい善とはいったいなんなのか。偽善だと指摘することに何の意味があるのか。ただ単に自分と他人の善に対する認識の違いを主張しているだけだ。独善という言葉もある。自分が独善的だと考える自覚的な人間は正しい。善という考えの基本は人のために行うことを指すがすべての人間のために善を行うことは難しいし、その行いが人のためになっていると証明できる人間もいないだろう。善くあろうとする人間は常に自覚的でなければ善くはなれない。
水を飲んでのどを潤すことに少しだけ幸せを感じる。そこには誰の犠牲もない。そういう小さな幸せだけで世界が終わればいいのに。