わかりやすくとは?
闇黒日記より引用:
「理解する努力」をしない連中には、口を閉じるしかない。
引用文とアンカーに必然的な関係はないってのは、どう考えても屁理屈としか思えません。
思えません、つて、そんなあなたの個人的な意見を押附けられても困ります。記述の正しさの為なら読者が辞書片手に読まなければならないという不便さは意に介さないということですか。
その通りです。
不便だらうが何だらうが、より正確である事の方が大事です。出來るだけ正確な言ひ方をしておけば、あとで言ひ譯出來ますから。好い加減な事を言つたら、通じる時は良いが、通じなかつた場合、面倒な事になりますからねー。
私の表記の場合、辭書をひけば、意味は解る譯ですから、「最低限のアクセシビリティ」は確保されてゐると言つて良いでせう。
そんなの屁理屈でしょう。ウェブを読むとき片手で辞書を持っている人など、多分あまりいないでしょう。それでアクセシビリティが確保されていると思われているのなら、ちょっと僕にはわからないなあ。
困りましたねえ。私が
「最低限のアクセシビリティ」と書いたのに、最低限のと、大事な鉤括弧を削られてしまひましたよ。「最低限のアクセシビリティ」とアクセシビリティの一般的な意味とは、違ふんですが、いずしさんには混同されてしまひました。そして、仮に同音多義語は必然的に意味を判別できないよ、というのであれば、よほど想像力が貧困なのか神経質なのかどちらかでしょう。普通は自動的に、文脈に沿ったり自分の理解しやすいほうに解釈するはずですから。
しかし、例の
せいひの場合、解釋で決定出來ないんですよねー。せいぜい、「ダブルミーニング」である、としか解釋出來ません。と言ふか、
自分の理解しやすいほうに解釈されたら、やばくないですか。それつて、「誤解されてもOK」と云ふ事になりますよ。その「誤解」を論據に攻撃されたら、困つた事になり兼ねません。書き手が「それはあなたの誤解です」と言つても、讀者にして批判者の人から「俺はかう解釋したのだ」と言張られたら、「解釋して下さい」と言つた書き手はその批判を受容れざるを得ません。
どーも最近時間がないからって引用するだけで満足してしまってて困る。