匿名の発言について。

そもそもこんなブログでそんなことを考えることに意味があるのか、というのはおいておいて。
2005-10-16 - 砂上のバラック
意味不明レスポンスに対して対等に話をできない相手だと見なしてそれ相応に扱うという身も蓋もない方法を提案されていますが、実際、話が合わないのであれば適当にあしらって終わりというのは少ない(あるいは存在しない)利益のために大きなリスクを負うより賢い方法だと思います。


蛇足めいたことを書くと、これは一つの考え方であって、正面から相手をするのは間違いだ、ということでは決してありません。むしろそういう人たちのことは尊敬します。それはとてもエネルギーのいることですから。けれど、たぶんほとんどの人には真似できないとも思います。これでもかと繰り出されるこざかしいその場しのぎの言論ゲームテクニックをいちいち処理するのはとても骨が折れますし、そうしたところで最後に待っているのはどうしようもない断絶の再認識です。そして、抱える必要のなかった不快感をよけいに抱えかねません。そのことをわかった上で、それでもあえてそうするという自覚がないと、精神的にきついと思います。
万事に対応できる人間は本当に出来た人間だと思います。あるいはヒマ人か。
で、以前書いた匿名のレスポンスに関して。
純粋な議論なら、匿名か否かなんて些細な問題だし、むしろ匿名であるほうがスムーズなこともあります。というか、ネット上でハンドルネームを名乗っているだけというのは厳密な意味では「匿名」ですね。
問題になってくるのは、発言者がその発言に責任を持つ意思があるかどうかです。
observation: 忌諱なき批判は匿名批判に限る
この記事で書かれているように、何らかの論拠を持ったレスポンスならその議論は非常に有意義なものになります。たとえ、まったく相容れない意見を持った相手でも、文脈上、相手の言い分を理解することは出来ます。
問題なのは、「何も意見を持たない」発言者です。ひどいものになると自分の意見を書かずに「引用」のみの場合もあります。このような発言者は「優越感」や「劣等感」などの見栄、虚栄心からの発言が多く、議論の内容には関心を持たず、単なる「勝ち負け」にこだわる傾向があります。
非常にメンタル的な問題ですが、このような発言者には対応する側にも相応の精神的な苦痛が伴います。議論のみに主眼を置くモヒカン族のような人間ばかりであれば全てが平和な気がするのですが。そういうわけにもいかず、それぞれが何らかの閾値を設定し、対応を考えなければいけません。
そういった意味での暫定的な措置として、自分でも納得がいかないのですが、ここでは「はてなのアカウントを持った人間」だけがコメントを行えるように設定してあります。