整理

去年一年間というのは努力の年だった。朝9時から夜10時という拘束時間のなかでどれだけ自分を高めていけるか、という挑戦だった。
最初に任された仕事は、書籍の在庫検索システム。仕様書も何もない状況から、すべてを一人で構築しなくちゃいけなかった。サーバ側の処理は PHP4 + MySQL 、これは前職で少しさわっていたけど、条件付き検索を行うためにはデータベースの設計をしっかり考えなきゃいけなかった。クライアント側のインターフェイスFlash で、という要望があって、これは全くゼロから始めた。ActionScript のリファレンスを見たときは、まず「これは無理だ」と思ったが、すでに「やるしかない」「自分しかできる人間がいない」という状況で、わかるところから少しずつ覚えていった。
入社後1ヶ月ほどでプロトタイプが完成し、そのおかげで昇進して給料も上がった。ただ、拘束時間のおかげで遊ぶ時間が減り、もともと少なかった友人関係もさらに大幅に制限された。会いたいと思った相手ともすぐには会えなかったし、コンタクトをとってくるひとに対しては貴重な時間を使って会う価値があるかを吟味しなければならなかった。
あの期間、僕はまさに孤独で、すべてを自分で考えて行動しなければならなかった。今、何をすべきなのか、誰と会って何を話して、何を学び何を作るのか。最初は漠然と考えていた。自分がこれから何をしたいのかなんて思いつかなかったし、のうのうと生きていた。そのころは目につくものすべてに不信感を抱き、顔で笑っていてもこころでは軽蔑していた。でも、極端に制限された生活の中で、「他人と自分を比較し、他人と違う自分を見つけてかりそめの安心感を得る」という価値観は薄れていった。「他人と自分は違う」というのは生まれた瞬間から真理で、「何が自分を自分とするのか」というのは「他人と自分の差異」ではなく「自立した自己の持続」だと理解した。自分の相対的な価値より、自己に対する絶対的な信頼の獲得こそが生きることの価値だと考えるようになった。
その頃には自分のやり残してきたことやこれからやるべきことが明確にわかるようになった。自分が何を失いたくないのか。何を獲得したいのか。のうのうと生きてきた過去の自分が情けなく思えた。その後はある程度明確な目標を立て、それに向かって努力した。努力が報われないかもしれないという可能性についても考えた。たとえかなわなくても、努力は無駄にはならないと信じた。
入社後一年が経ち、目標に向かって動き出す準備を始めた。退社までは4ヶ月近くかかった。どうにかして引き止めようという動きがあって、時間がかかった。あるひとに「座っているだけでいい給料もらえるんだから」と言われ、絶対に辞めると決意した。そんな向上心のかけらもない腐ったような言葉で引き止めることができると思われたということが許せなかった。
退社して2ヶ月経ったが、まだ行動には至っていない。自堕落な生活に戻るつもりはない。ただ、「すべてを破壊してしまう可能性」に正面切って立ち向かうにはもう少し時間と準備が欲しい。