故・鍋島勘次郎 告別式「孫からの手紙」全文掲載
僕の小さい頃、おじいさんとおばあさんが二人で苺をパックにつめる作業をしていたのを覚えています。今はありませんが、その頃は大きな苺畑があり、こどもの日にはそこで苺狩りをしました。
僕が中学生になった頃、夏休みはよくお茶摘みの手伝いをしていました。重いお茶摘み機を何時間も担いで回るので、とても大変な仕事だと思いました。
雨が降ったときには学校や駅まで迎えに来てもらっていました。僕はよく傘を忘れていたので、とても助けられました。
おじいさんは、家族の皆としょっちゅうけんかをしていました。とても頑固で、言ったことは絶対に訂正しない性格でした。ですが、僕はおじいさんの言うことは結構正しかったと思います。おじいさんは、「正しさ」ということに対して、とても厳しかったのだと思います。
最後に会ったのは、今年の八月のお盆でした。
僕は五年前に東京へ出て以来、実家には年に数回戻る程度でした。
その時はもう、おじいさんは寝たきりで、体の力も衰えてしまっていましたが、頑固なところは相変わらずで、世話をしてくれているおばあさんとけんかをしたりしていました。
僕の顔を見るとおじいさんは僕の名前を一生懸命思い出そうとし、母さんに教えられて、何度も僕の名前を呼んでくれました。
その後、僕とおじいさんは握手をしました。とても力強かったので、一ヵ月後に今日のような日が訪れるとは思ってもみませんでした。まだまだ先のことだと思い、小さな頃からお世話になった分のお返しを全然出来なかったことが悔やまれます。
おじいさんの人生と比べたら、僕はまだ半分も生きていません。おじいさんが見てきたことや考えたこと、伝えようとしてくれたことを、僕はどれだけ受け取れているのか、わかりません。ですが、たくさんお世話になったこと、おじいさんの姿、おじいさんの「正しくあろうとする心」を、僕は忘れることはないと思います。
おじいさん、今まで本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。