呪縛みたいなもの2

「世の中に絶対的なものはない」
当たり前である。すべてのものは互いに相対的にしか存在し得ない。「絶対的」とは、在るか無しか、でしかない。
相対的な価値観でしか物事を語れないのではなく価値観というもの自体が相対的でしかありえない。すべての存在するものは絶対的に存在するとも言える。(量子物理学や宇宙論にまで話を広げない限り。)
つまり在るものは在る。絶望や希望もその範疇にあるし、神や自己も同じ。
「死」とは何か。「生」の絶対的な否定である。「生きる」というのは自己が存在し続けることだが、その過程で唯一「自殺」を選ぶことが「生きる」ことへの否定として存在する。他人を殺すことはやはり他人を絶対的に否定することである。完膚なきまでに絶対的に否定されてしまった「生」に対して、自己は相対的な「生」の意義を獲得するかもしれない。或いはしないかもしれない。「死」とは絶対的なものであるから結局それに対する相対的な「生」の価値とは錯覚でしかない。
つまり「殺意」とは無意味な感情である。「殺意」を抱きながら結果的に「殺さず自分が生きる」事こそが勝利である。
しかし、果たして本当にそうなのか?