ムラ社会vsモヒカン族。

その言葉をつい1週間ほど前に知った人間が考えたこと。
モヒカン族界隈にて言及されているモヒカン族ムラ社会の対立は「平穏を望み穏やかに過ごしたい事なかれ主義のムラ人たちと、ハンドアックスを持ちムラを襲撃するはみ出すことが大嫌いなモヒカン族」のような非常に抽象的なイメージであたかも二つの群れが対立しているかのように語られる。が、これは子供の描く多視点画のようなものであり、実態を捉えていない。
モヒカン族とはその定義からすれば「群れ(組織、コミュニティ)」ではなく「ある種の思考的特徴を持った人々」、いいかえれば「人種」である。本来それぞれは同軸上で語られるものではない。
なぜこのような構図になったのか。思うにその原因は本来想定されていたモヒカン族と実際に登場してきたモヒカン族とされる人間たちとのギャップにあると思う。当初、ムラ社会モヒカン族に対する仮想敵だったはずだ。技術原理主義者は現実、ネット問わずムラ社会的文化に対する不満を抱いており、その構図の明文化としての「モヒカン族」だった為、「モヒカン族」に対応する「ムラ社会」は抽象的表現に留めるしかなかった。自分が以前にムラ社会の記述には欠落があるとしたのはこのためである。
しかし、一旦この言葉が認知されると、WWW上でモヒカン族的活動家の発言や活動を行ったときに「ムラ社会」vs「モヒカン族」という構図で捉えられてしまうようになる。本来は「個人対個人」であったコミュニケーションが「コミュニティ対コミュニティ」に入れ替わってしまう。この置き換えは、どちらの視点にも立たない人間によって行われる。メタモヒカン族もここに含まれるだろう。
群れとしての「ムラ社会」と「モヒカン族」の性質の違いについて書こうと思ったが保留。
小中学生を虐めて楽しんでいるようなのがモヒカン族だとするなら、これ以上モヒカン族関連について書くことはないし、考えることも無い。