殺害という選択肢を遺伝子は用意しているか

// 病んでるわけではないので悪しからず。
殺人は本能か。
知り合いに問われてその場で直感で考えて答えたが、自分は殺人願望は本能に組み込まれていると思う。細胞レベルでは絶えず新陳代謝が繰り返されているし、種のレベルまで視点を引き上げてみても同じような構造を持っているのではないかと思う。
優れた個体を愛する欲望と劣った個体を排斥する欲望は、種の保存……というよりは遺伝子の保存、遺伝子のエゴイスティックな意思の表れであって、人間という個体はその意思を遂行する乗り物である……。
というようなことは、すでにリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本に書かれているんだと思う。……読んでないが。
余談、すべての思考を言語化するのは不可能である。
なぜなら、言語化する際に生じた思考も言語化しなければならず、このプロセスが永遠に堂々巡りになるため、すべての思考を言語化することは不可能。よって、言語によって思考を網羅することは不可能。
「言語こそが思考であって、言語以前は感情/その他である」という反論に対する反論。「思考」は読んで字のごとく、「思うこと」と「考えること」である。その反論は本質に対する反論ではない。
言語は思考の本質ではない。