「懐かしい」という感情

「懐かしい」という言葉の使われ方に違和感を感じる。どうも、「それ、俺にとってはすでに通過点だよ」というような、ある種の自己顕示を満たすために使われている気が。
僕は「懐かしい」とはつまり「ノスタルジックな感傷を受けた」という感情を表す言葉であって、必ずしもすでに体験したことについて述べなければならないとは思わない。記憶がなくても、懐かしい気持ちになることはある。

根拠のない感情などありうるのか?

感情に真の意味で理由が存在し得ないとは思いませんが、それが必ずしも意識的に認知されているとは限らないと思います。
また、「懐かしさ」の根拠がなんらかの過去の意識の再現にあるということは事実だと思いますが、それが過去の実際の経験によるもののみだとは思えません。
人間の内面的な情景には、個人的な記憶によるものと、所属する集団で共有される知識を前提とした民族、宗教的なものが存在し、恐らくはそのような内面の情景を自己の外に発見したとき、「懐かしい」という感情がわき起こるのだと考えます。
戦争へのノスタルジックな感情とは、例えそれそのもの体験がない人間に関しても、日本人としての歴史的な記憶、国家への帰属意識などにより説明できるものなのではと思います。
以上のような僕自身の「懐かしさ」の捉え方が、一般的な認識や本来的な定義と一致しないことを否定することはできませんが、少なくとも僕は自己顕示の発露のために「懐かしい」という言葉を使って欲しくないと言いたいためにこのエントリを書きました。もちろん、「懐かしい」が自己の経験の有無の判定、表明のために使用されるべきだ、と主張する人間がいるのならそのように使用される現状を認めざるを得ませんが。